本とか音楽とか
本が読みたくなるタイミングが周期的にやってくる。それは、単純に知りたいことがあったり、もやもやして答えかヒントを求めてるとき。
よせばいいのに、あれもこれも買う。そして、一旦積む。その中から一冊ずつ読んでいくわけだが、途中で「解」を得たら気が済んでしまうので、手に取らないままの本もある。
でも、周期的に同じようなことでまたつまづくので、そのときに読むこともあるから、まあいいのだ。逆に、一回読んでいまいち刺さらなかった本もあって、それらは早めに手放してしまう。
そんな感じで手元に残った本が家の本棚に並んでいる。なかにはもう20年近く何回も読んでる本もある。毎回その内容に感心してる。正直、何が書いてあったか覚えてないことが多くて、たぶん、毎回同じようなことに感心している。
そう考えると、得たい答えなどすでに過去に手にしていて、それをすっかり忘れて、本をトリガーに思い出してるだけなんじゃないかという気がする。
新しい本を買っても、結局他の本と同じようなことが書いてあることもよくある。それでも、同じようなところに感心して、同じような解を得てるだけなんじゃないかと。
まあそれでも、そのときに求めるものが得られているならそれでいい。
たぶん、何かを自分の外に出したいときに、先に何かを中に取り込みたくなるような気がしている。だから、あれやこれや本を買いたくなるときは、そのすぐ後に動きたくなるタイミングがやって来るのだろうと思ってる。
また、このごろは、本だけじゃなくてライブやコンサートに行きたなっている。
長いこと音楽演っているのにこんなことを言うのは憚られるけど、いままで人の演奏をライブで聴きたい意欲が本当に無くて。まれにそういう機会があっても、観るもの聴くものいろんなことが気になっちゃって、勉強してるかのように腕組みして聴いてしまったり。
でも、なぜか、このごろそういうのがなくなってきて、たまたまつけたテレビでライブ映像見て感動してアーカイブを何回も観ちゃったり、どうしてもリアルで聴きたい演奏家の人を見つけてライブ情報探してみたり。
たぶん、「すごいものはすごい」「好きなものは好き」でいいんだな、と思えるようになったのだろう。そこに理由とか比較とか分析とか要らなくて、ただ浮かれたり涙したりでいいのね、と。
いままで、一生懸命頭の中で考えて生きてきたんだな、と思う。それは環境のせいだと思ってきたけど、このごろは、たぶん遺伝とか性質とか、そういうものの影響もある気がしている。
でも、そのぶん、感じることはだいぶ蔑ろにしてきた。なんというか、感性に頼ることに不慣れ。
だけど、いまは、そういう不器用な感性がそのまま出ちゃったものでも、そのまま外に出したい気分なのかもしれない。
だから、本もいいけど、音楽ももっと聴いていきたいなと思う。
