週報的なもの|2025年7月第1週〜2週

演奏というものに、昔からあまり興味がなかった。それが自分には欠落のように思えていたけれど、そうではなくて、頭の中で鳴っている音はもっと多様で、一つの楽器でそれを実現しようとすること自体が難しいのだと気づいた。とはいえ、一人でなんとか完結させたいという気持ちは強くあって、だからこそ、DAWという道具は自分にとって最適なものだと思う。

もともと、打ち込みが好きだった。小学生の頃、電子オルガンについていたシーケンサーに打ち込んで、リズムパターンを流し、コードを鳴らし、ベースラインを踏み、メロディを弾く──そんなふうに一人でいろんなパートを組み合わせて音を作るのが楽しかった。いつも、いつまでも弾いていられた。上手に弾けるかどうかではなくて、音が組み合わさって鳴ること自体が面白かった。でも、楽譜を見て弾くことには、あまり興味が持てなかった。

クラシックピアノから入っていないからか、今でもピアノへの苦手意識は強い。鍵盤は弾けるのに、いわゆる「ピアノ的」に弾けないことを呆れられたこともあった。演奏への苦手意識が生まれたのは、その頃から。指が動かないから、上手く弾けないから、自分の音楽はダメなんだと思い込むようになっていた。

でも今は、「音楽=演奏」ではないと思っている。もちろん、美しく演奏できるに越したことはないし、それができない自分に対して、どこか負け惜しみのような気持ちや、努力不足を感じることもある。でも、それだけじゃなくていいんじゃないか、という思いが今はある。むしろ今は、楽器ができなくてもDAWがあれば音楽が作れる時代で、演奏の可否は必然ではなくなっている。

とはいえ、こうして個人が音楽を作れるようになったのは、時代的に見れば本当にごく最近のことで、昔は作曲できたとしても、それを鳴らすには奏者が必要だった。だからこそ、この環境に間に合えてよかった、と思っている。

いろんな教示を受けるたび、心を動かされることも多いけれど、同時に「もうちょっとなんとかなるんじゃないか?」という疑問も湧く。「たしかにその通りだな、でも…」と、何かが引っかかる。その『でも』を、これからどうにかしていきたい。それを形にして、問いとして投げかけていく。それを、ちゃんと間に合わせていきたい。

そんなふうに思った一週間だった。

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