感覚派
感覚や感性で話すと不評だった経験があるのか、いつの頃からか理屈立てて話そうとするようになり、それに伴って頭の中でも思考を重ねるようになった気がする。
でも、本来は感覚優位なタイプだから、頭が常に結構なエネルギーを消費(空費)してて、しかも、言葉を重ねれば重ねるほど本来の自分の考えとは乖離していってるように思う。
音楽を作るときもかなり感覚的なところからスタートして、あとから理論的なところで整えている。なんか気持ち悪いところが出てきたときに、はじめて理屈を持ち出して照らし合わせる感じ。
でも、幼少の頃にある程度叩き込まれたと思われる最低限の理論や技術がベースにあるから感覚でも多少できるわけだけど、自分よりも理論に詳しくて技術が高い人に出合ったときに、自分の出来なさを痛感したことがあって。
痛い目にあったなら理論を学んで技術を磨けばよかったんだけど、結局あれこれ理由をつけて、大して勉強も技術の向上もせずに来てしまった。
その間も頭のどこかで感覚でやってることを恥じるというか、あんまり良くないなと思い続けていて。
でも、あるとき、ある演奏家の人と話して少し考えが変わった。
例えばライブで演奏するとき、間違えないように事前に練習する人は多いと思う。でも、私はそのときのノリでやれる箇所は、本番の出たとこ勝負というか、細かいところまで詰めずに臨むことがある(決め事がある場合や仕込みはそれなりにちゃんとやってるつもり)。
で、まあ、そういう感じでやってるから上手くならないのかなーとか、なんか適当っぽくて良くないのかなーとか思ってたんだけど、その、ある演奏家の人と話したとき、その人も私と同じような感じで演ってることを知った。しかも、かなり肯定的に、そういうスタイルで演ってらっしゃる。
その方、めっちゃカッコよく自信に満ち溢れてる感じで弾いてて、まあ、根底にある技術力の差が私などとは圧倒的に違うから一緒にするのも烏滸がましいけれど、それでも、話を聴いたときに「私だけじゃなかった!」とすごく安心したわけです。
よく考えれば、人それぞれ個性があるわけで、得手不得手もあるわけで、「こうしなくちゃいけない」と人の真似をするよりも、「いや、このほうがかっこいい」と自分のスタイルを追求したほうがいいんだな、と。
そして、そうやって表現したものを人がどう受け取るかは相手次第で、なんならそれはコントロールできないもの。だから、結局は、自分が楽にできる得意なやり方で、それをスタイルにできるように磨いていくことしかできないのだと思う。
それが結果的に相手に何かしら良い影響として伝わったらありがたい話だし、自分にも返ってくるものがあるだろうから、その循環を作るところを目指して、日々を積み重ねていきたい。
