反応を選ぶ
しずかなインターネットでたまたま見つけた文章を拝読しているとき、これ自分が書いたんかな、と思うほど共感することがある。着眼点や感覚が近しい人が同じ場に集まるということかしら。
そういう文章を読めた喜びを感じつつ、そこで何か反応を求められないのがこの場の素敵なところだと思う。
もう、XもFacebookも何もかにも、なんというか、見ててしんどいときがある。もちろん、ただ書きたいだけ、つぶやきたいだけなのかもしれないし、それを楽しく見られるときもあるけど、基本的に光も闇も強すぎる。私には。
それでも、何かを創作して、それを誰かに見てもらおう思えば、今の時代、見て!聴いて!にならざるを得ないしね。人に対しても、その手前にあるアルゴリズムに対しても、アピールしてなんぼ、みたいな。
でも、このごろ、本当にそうなのかな、と思う。言いたくないことは言わなくていいし、聞きたくないことは聞かなくていい。もう少しリラックスして、取捨選択していいんじゃないかと。
いつも饒舌である必要もないし、「not for me」とスルーしていいこともある。どう反応するかは自分が決めていきたい。そして、人にも反応を求めないようにしたい。
