週報的なもの|2025年6月第3〜4週
自分の属性や立場のようなものに捉われず、自由でありたいと常に思っている。創作ではそれが叶いやすいけれど、現実や社会の中では、やはり「やらなければならないこと」がそれなりにあって、どうしたもんかな、こうしたもんかな、と思いながらやっている。
その折り合いが手枷のように思えることもあるけれど、それがあるからこそ分かることもある。ゆえに結局は、目の前のことを一つ一つやっていきながら進んでいくしかないし、「振り返ったらなんか前に進んでたわ」くらいの大らかさを持ちたいものだと思う。
このところ、一番聴いている音楽が、Fortniteのロビーで流れている曲になっている。最近は、「Where My Wookiees At?」という曲が好き。どの曲も音の感じがとても良くて、どうしたらこういう音になるんだろうかと思いながら聴いている。
痛くなくて、耳あたりが良いけど、パキッとしてる音。
いろいろやりたいことがあるうちの一つに、「即売会に作品を出す」が上がってきたので、実現すべく進み始めている。以前、小売店をやっていた時にイベントで販売したことがあって、それが楽しかったので、そういう感じで自分の作品が出せたらいいな、という単純な動機から。
あと、締切がないとやっぱりなかなか動き出せないので、自分では動かせないデッドラインを置くためでもある。
今まで歌ものをほとんど作ったことがないのだけれど、そこに出す作品の一つはそれにしたいと思う。歌ものを作らない理由は、端的に、自分が歌を歌えないのと、歌ものにあまり興味がないからだったのだけれど、このごろ、音と言葉を組み合わせたい気持ちが出てきているので、その衝動に従ってみようと思っている。
歌は synthesizer V に歌ってもらう予定。言葉は力が強くて、私は扱いに慎重になりがちだけれど、音楽に載せるなら多少中和されるかな、と思ったりもしている。あと、人に歌ってもらうより、言葉が乗るシンセを鳴らしてると思うと、少し自由になれる気がする。
とはいえ、本当は人に歌ってもらえたらいいけどね。弾いてもらったりもしたいし。
「自力で頑張る」というテーマで nareka の活動をしているわけだけれど、それはまあ引き続き頑張るとして、もう少し広い視野でやりたい気持ちも出てきている。
人と一緒に何かをすることは制約でもあるけれど、思いもよらない可能性を生むことでもあるわけで、あまり肩に力を入れすぎず、もう少し色々なチャレンジをしてもいいのかな、と思ったりしている。
学校がそろそろ「オンシーズン」になるので、本腰を入れなければならない。
課題をやりながら、「制作の時間を削ってなぜ私はいま課題をやっているのか」と自問自答することもあるのだけれど、当然ながらそれは自分が選択したことであって、取り組んでいる最中はやっぱり学びもあるし、単純に面白い。今までわからなかったことがわかるし、気づきもあるし。できなかったことができるようになったりもするし。
技術的なことを学ぶだけなら、たぶん違う道もあるのだろうと思うのだけれど、いわゆる教養的なことを得たかったし、過去に分岐して選ばなかった道に今ちょっとだけ戻ってみたらどうなるのか、という答え合わせのようなところもあって選んだわけだから、いまこうして学べていることに感謝しつつ、頑張りすぎないように頑張りたい。
手を抜くというわけじゃないけれど、なんでも完璧にする必要はないし、学ぶことが目標なのではなくて、自分が作るものにその教養なり技術なりを活かすことが目的なわけだから、そこが本末転倒にならないようにしつつ、取り組んでいきたい。
それにしても、圧倒的に時間が足りない。時間が足りないというよりは、自分が持っているエネルギーの掛けかたを、もう少し工夫した方がいいとは思う。時間があったとしても、それに取り組むエネルギーがないとできないこともあるし。時間が長ければいいわけでもないし。
まあ、日々試行錯誤しながらやるしかない。とりあえず直近でできることは、よく寝ることと、もうちょっと運動することだと思う。
